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    <title>デイリーニュース</title>
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    <updated>2007-03-23T12:51:27Z</updated>
    <subtitle>東京フィルメックス（2005.11.19〜11.27）の開催中、ニュースや情報をデイリーでお届けします。</subtitle>
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    <title>11.27. クロージングセレモニー</title>
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    <published>2005-11-27T09:30:00Z</published>
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    <summary>９日間にわたって開催された第6回東京フィルメックスも最終日、アボルファズル・ジャ...</summary>
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        ９日間にわたって開催された第6回東京フィルメックスも最終日、アボルファズル・ジャリリ監督の『フル・オア・エンプティ』の上映前に授賞式が行われた。

審査結果発表に先立ち、林ディレクターから「連日通っていただいた観客の皆様、作り手の皆様、審査委員の方々、映写字幕チームの方々、ここにいる全ての皆様に心から感謝いたします。80名のボランティア・スタッフの皆様もありがとうございました。映画は人生を、また心を豊かにしてくれます。引き続き皆様に素晴らしい映画をご紹介できるよう力を尽くします。来年11月の第7回東京フィルメックスでまたお会いしましょう」と挨拶。そして審査員の西島秀俊氏、フレッド・ケレメン氏、マリアン・レビンスキー氏、エリカ・グレゴール氏、審査委員長のアボルファズル・ジャリリ氏が登壇し、各賞が発表された。
        まずは、観客の投票によって決まるアニエス・ベー観客賞が、ウィルソン・イップ監督の『SPL＜殺破狼＞』に授与された。次回作の撮影のため来日できなかったウィルソン・イップ監督の代理で、配給元のメディア・スーツの千葉氏がコメントを読み上げた。「この受賞を光栄に思っています。今回の受賞を観客の皆様からのメッセージと受け止め、今後の映画製作に全身全霊を捧げて取り組みます」

続いて発表されたのは、審査員特別賞（コダックVISIONアワード）に輝いたイン・リャン監督の『あひるを背負った少年』。「初監督をされたイン・リャン監督への支援の気持ちを込めて」というマリアン・レビンスキー氏の祝言に、イン・リャン監督は「私に審査員特別賞をくださったということは、映画を撮り続けなさいという激励のお言葉でしょう。本当にありがとうございます。そしてまた、ボランティアでこの撮影に参加してくださった出演者の人たち、陰ながら支えてくれた人たちに、心からの感謝を捧げたいと思います」

そして、最優秀作品賞は小林政広監督の『バッシング』に。エリカ・グレゴール氏から「描かれたテーマの重要性を評価した」と賛辞を送られた小林政広監督は通訳を従えて登壇。「オフィシャルの席なのでフランス語で挨拶をします」と会場を笑いで包み、「今回の授与を光栄に思っています。審査員の皆様、そして『バッシング』を選んでくれた東京フィルメックスの皆様に感謝いたします」と喜びを述べた。

最後に審査委員長のアボルファズル・ジャリリ氏が「正直に心を込めてこの映画祭で戦った人たち、裏で働いているたくさんの人たち、ディレクターの林さんと市山さん、映画祭を支えてくれたスポンサーの方々、審査員の皆さんひとりひとりにお礼を言いたい。そして観客の皆さんに心からお礼を申し上げたい」と感謝の言葉を述べ、盛大な拍手とともにクロージング・セレモニーは幕を閉じた。

（取材・文：北島恭子）
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    <title>「無窮動」 Q&amp;A</title>
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    <published>2005-11-26T01:30:00Z</published>
    <updated>2007-03-23T12:51:27Z</updated>
    
    <summary>映画上映後、ニン・イン（寧瀛）監督をお迎えしてQ&amp;Aが行われました。 林ディレク...</summary>
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        映画上映後、ニン・イン（寧瀛）監督をお迎えしてQ&amp;Aが行われました。

林ディレクター: 最初に、監督から日本の観客の皆様に一言いただけますでしょうか。

ニン･イン監督: 土曜日の朝からこの映画を見に来てくださって本当にありがとうございます。私が東京フィルメックスに参加させていただきますのはこれが2回目です。本当に光栄に思いますし、とても感激しております。ありがとうございます。
        林: ニン・イン監督は「アイ・ラヴ北京-I Love Beijing」を2001年にご紹介させていただいて2回目になります。まず「無窮動」というタイトルなんですが、いわゆる”半永久的に止まらない動き”というんでしょうか、物理学的な用語としても、また古典音楽の1つとしてしても定番になっているものなんですが、このタイトルをつけられたところから教えていただけますでしょうか。

ニン・イン監督: この映画では女性の心の中にあるいろいろな欲望を表現したかったので、それを音楽の中のひとつの形式の「無窮動」というものを通じて表現するようにしました。そういうことでこのタイトルをつけました。

林: 中心の4人の方たちのキャスティングがものすごくユニークで、ニン・インさんでないとできないとみましたけれども、キャスティングについて詳しく教えていただけますか。

ニン・イン監督: ラーラー役とニュウニュウ役の二人は私とはプライベート上のお付き合いがありまして、普段からとても仲がいいんですが、二人とも初めてこの映画で演じてくれました。女性たちの中でジンジン役だけがプロの女優さんです。彼女たちは本当に実際の生活の中でも大活躍している人たちで、とても個性の強い人たち、非常に存在感のある人たちなんですね。彼女たちの存在そのものが私の映画を作ろうという意欲を刺激しまして、彼女たちの日常生活そのものを私の映画という枠の中に入れて作ってみようと思ったのです。 

Q: 中国人のアイデンティティというのを客観的に描かれていると感じました。そして出てきた女性たちが皆、外国に住んでいたり、外国人と接点があるということできっと監督の気持ちを代弁しているかと思うのですが、どういった監督の思いがこれに反映されているんでしょうか。

ニン･イン監督: この映画の中で描きたかったある世代の人たちを代弁するような経歴なわけです。この中で、最近の中国というのが本当に消費社会になってきている、経済ばかりが重んじられる社会になっている、そういう背景がまず1つあるわけです。今日の中国社会でモダンな女性、スタイリッシュといわれている女性はもうすでに私たちの現実生活の中の中国女性とはかけ離れている存在です。象徴的な女性といわれているのは若くて美しい存在なんですが、その中国女性の代表というのは私たちの実際の生活にはないもので、リアルではない存在です。今皆が興味を持っているのはお金、とにかく経済上の成功です。そういう中で、経済的な意味で成功した人でも、その内面を一歩探ってみると本当に踏み込めない、タブーの領域をその心の中に深く抱えているのです。中国でも放送されたあるアメリカのテレビドラマを意識した映画であるということもできます。

林: 女性たちはかなり富裕の、セレブというか、外国にも行ったり、教養もあって、批判もできるような階級的に上の方を設定されていますよね。

ニン･イン監督: そうですね。彼女たちは中国社会における上層部分の中に入ります。また、彼女たちの背景は「赤い貴族」と呼ばれている高級官僚の師弟や関係のある家族であり、経済的にも成功しているのです。で、この映画ではそういう表面的には成功したように見える人たちのその下にある複雑な内情というものを描いたのです。

Q: この映画は素晴らしかったですが難しかったです。というのは、最後の3人の状況がよく分からなかったのと、どうしてラーラーが狂ってしまったのかが分かりませんでした。教えていただけますでしょうか。

ニン･イン監督: この映画は非常に象徴的な手法を使っております。ラーラーというこの人物は物質的な面からはとても遠くて、とても精神世界を重んじる女性として描いています。そういう人たちというのは今の中国社会、いわゆる物質的なものが重んじられている社会では非常に生きにくいタイプの人です。ですから、そういう狂った状態でないとそういう社会では生き抜くことができないのです。私にとって、結末というのは非常に重要です。そこで私が選択したシーンというのは誰も歩いていない、できたばかりの道路なのです。そこで出したかったのはある種の疑問なわけです。これが果たして私たちが欲しい社会なのか、この物質は全てであるのかどうか。もう昔あった古い家というのはすっかりなくなってしまって、全て新しい家に変わってしまっているのです。私たち中国人が持っていた昔の記憶というのは、その古い家屋が消えるのと共に消えてしまっているということなのです。

Q: 監督の撮られた「北京好日」「アイラヴ北京」なんかでは貧しい人々を描いておられましたが、今回は特権階級、上流階級の方を描いておられます。先ほど、監督からラストの見解をお聞きしましたが、階級は違えども取り上げられている素材は一貫されているのかなと思いました。物質的なものへの偏りなど、過去の3作品に少し批判的に捉えられるんですが・・・監督は、今後の中国人、またそのアイデンティティはどういうものであるべきだとお考えでしょうか。

ニン・イン監督: 特にこの15年来、中国社会は急速な変化を遂げています。私は、映画を撮る時には、その時々に一番深く感じたことを映画にしています。その時に自分が感じた、そのことを映画に描こうと。その一刻一刻変わっていくその社会にあって、その時々に感じたものを描こうと思っています。ただ中国の社会というのは非常に複雑であって、いろんな階層に分かれているし、とにかく人がものすごく多いわけですから、そのなかでいろんな人が生きているわけです。ですから「北京好日」から「無窮動」に至るまで、私の作品というのは基本的な部分というのは変わりはないわけです。というのは、その基本的なスタイルというのはその中国が刻々と姿を変えていく、その一時一時にあわせて自分が感じたものを描いていくということです。

林: この映画の中国での公開はまだだと伺いましたが、いつごろ予定されているのでしょうか。

ニン・イン監督: 来年の3月8日の婦人デーという日がありますが、その女性の日に合わせて上映する予定です。おそらくその婦人デーの大きな爆弾になると思います。

林: 本当にチャレンジャーで、ニン・インさんは本当に私も大好きなんですけど。ニン・イン監督は日本での配給を強く希望されています。まだこの作品は出来上がったばっかりですので、まだ配給が決まっておりません。今日ご覧になった劇場関係の方、配給の方、前向きにご検討していただければと思います。よろしくお願いいたします。
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    <title>「サウンド・バリア」 Q&amp;A</title>
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    <published>2005-11-25T09:40:00Z</published>
    <updated>2007-03-23T12:51:27Z</updated>
    
    <summary>映画上映後、アミール・ナデリ監督を迎えてQ&amp;Aが行われました。 市山ディレクター...</summary>
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        映画上映後、アミール・ナデリ監督を迎えてQ&amp;Aが行われました。

市山ディレクター:監督から一言どうぞ。

ナデリ監督: まず申し上げたいのは、これは音についての3部作の1本目だということです。この前に私は3本映画を作っていますが、それはニューヨークに移り住んでからの新しい人生、経験についての映画でした。今見ていただいた映画は長い間構想していたもので、このストーリーも、映画も作るのが大変だろうということ、また、皆さんに見ていただくのも大変な経験だろうということは初めからわかっていました。しかし、私は何かとりつかれたような、非常に強い欲望を持っている人間なものですから、映画や人生を映画、音、編集といったものを通して経験していくということを大事にしてきました。この映画ができたのは、この物語を信じているからです。実際に皆さんがこれをどう受け止められたかは分かりませんが、私にとっては信じられるものなのです。25年間映画を作ってきましたが、その中でいろいろな映画を見てきました。いわゆる伝統的な、古典的な方法で物語を作る映画も作ってきましたし、そのような方法で映画を作ってきた多くの監督を知っていますし、優れた映画もたくさん見てきました。しかし、私は今ご覧いただいたような方法、すなわち、自分なりの方法でしか映画は作れないと思っています。私は自分の祖国のイランでは9本の映画を作りましたが、うち3本はいわゆる古典的な、伝統的な方法の映像スタイルを使いました。しかしその後、音と比較的少ないダイアログで何かを語っていくという自分なりの方法を編み出していきました。1975年に作った「Waiting」という映画以降、この新しい手法を使っていると思います。このスタイルを認めてくれるイランの観客の人たちも少数はいましたけれども、私にとってはこれしか信じられないので、この方法をとり続けています。ニューヨークに移り住んでから10年間、初めのうちは自分自身、人間としての自分自身を見つけ出すのに時間がかかりました。そして、映画の方法も次第に確立していったのです。正直言いますと、この自分の人生の選択は間違っていなかったと私は大変嬉しく思っております。皆様にも感謝申し上げたいと思います。ご質問があればぜひお願いします。
        市山: 今お話にありました「Waiting」という作品ですが、実は2年前に東京フィルメックスで行われました「イスラム革命前のイラン映画」特集で、「期待」とい題名で上映をしました。これは本当にすばらしい傑作で、多分ここにいらっしゃる方はご覧になった方もいらっしゃるんじゃないかと思います。

Q:前回フィルメックスで上映された作品（「マラソン」）と本作共に、舞台はニューヨークで撮られたようなんですが、それ以外の場所で撮られる構想はおありでしょうか。

ナデリ監督: 正直に申しあげますと、私がイランを離れた理由というのは、次に構想をしている映画のためにだったんです。2年後に完成させようと思っている作品なんですが、それは「月」についての映画です。当初からこの映画の完成には20年かかると思っていました。もっと映画的な経験を積んで、ニューヨークに来て、１つの映画のスタイルを確立してから取り掛かろうと思っていました。さきほどおっしゃった「マラソン」、それから今回の作品を経て、ようやく私は心の準備ができたのです。ですので、次の作品は月を舞台にした映画にしたいと思っています。この作品を通して音という要素に対する私なりの回答が見えるのではないかと思います。私がイランを離れたことについて色々なことを言う人たちがいます。馬鹿なことを言っている人もいます。例えば、政治的な理由で離れたとか、あるいは自分の映画を嫌いな人が多かったからだとかいろいろなことを言われましたけれども、その時には月についての映画を作りたいから離れるんだとはとても言いたくありませんでした。ただ、私が経験を積んで、いずれその映画を作るための準備をしたいと思ってました。今まで12人の人が月に降り立っているんですが、私はそのうちの6人と会って色々話を聞いています。そして、実際にNASAにも行って、月に降り立つ経験がどういうものかということも自分で身をもってやってみました。

Q:主人公の少年に対し、演出をどのようにされたのかを聞かせてください。

ナデリ監督: この少年は私が住んでいるニューヨークのダウンタウンの近くに住んでいます。彼が5歳の時に彼のことを知って以来、ずっと彼で映画を作りたいと思ってきたんですね。6年間待ちました。毎年、彼がどういう成長を遂げているか、どういう顔をしているか、どういう肉体になっているかを確認しながら6年待っていたんですが、彼が11歳になる前の年に、撮ろうと思いたって、秘書に少年の父親とコンタクトを取れるようお願いしました。電話が来たときに、自分の構想について話をしました。家族に同意を得て、3ヶ月間、この少年に耳の聞こえない訓練をしたわけです。例えば、話をするときにも、彼は口を使ってしゃべるのではなく、筆談するようにしたり、私たちに話しかけるときも声を出さずに唇だけで話すようようなそんな訓練をしたんです。このように彼に耳が聞こえないという経験を学んでもらったのです。もう1つ、彼は元々太っていたんですが、その数ヶ月の間にスリムになってもらいました。彼の家族は私たちの企画、構想、映画というものを信じてくれていたんですが、少年は当初あまり嬉しく思ってなかったようですが、数週間立つうちに、段々と楽しむようになり、映画に入り込んできました。始めから私たちは伝統的な物語の語り口や演出の方法を取るつもりはありませんでした。つまり、AからZまでこのようにやるんだよということを教えて、その通り演じてもらうということですが、それは非常につまらないことですし、面白くない映画になると思い、そのようにはしませんでした。むしろ、耳の聞こえない人のムードあるいは雰囲気のようなものをそこで生み出すことが重要なことだと思っていたのです。今おっしゃったテープのシーンですけれども、撮影には2週間かかりました。そして58テークという非常に数の多いテーク数を重ねて撮りました。非常にクローズアップの多いカメラワークですし、大変困難な撮影でしたけれども、あれはポストプロダクションでいじったものではなくて、本当にその場、現場で撮られたものです。女性の声などが錯綜するテープを実際にその場で流すことをしなかったので難しかったんです。そして、カットの短い編集を施しました。この映画は全部で1752ものカットで構成されているんですけれども、10分間の非常に長いショットが１つあります。私がこの映画を作ったのはこの10分間のロングショットと最後の部分を表現したかったからなのです。少年は非常に喜んでくれています。先週イタリアのトリノ映画祭で賞を受賞しまして、彼も演技の賞を取り、いろんな人と自分の経験について話をすることができて、大変喜んでくれてていたようです。最後に東京フィルメックスにお礼を言いたいと思います。また招待いただき、嬉しく思っています。また、皆さんがこの場にいらしてくださって、最後まで観ていただいたことを嬉しく思っています。果たして楽しんでいただいたかどうかは分かりませんが、1つの経験をしていただいたのではないかという確信はあります。「カット！」
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    <title>「あひるを背負った少年」 Q&amp;A</title>
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    <published>2005-11-25T06:50:00Z</published>
    <updated>2007-03-23T12:51:27Z</updated>
    
    <summary>●監督から観客へ一言 今日は、この場所に招いていただいて、そしてここで映画を上映...</summary>
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        ●監督から観客へ一言
今日は、この場所に招いていただいて、そしてここで映画を上映していただいて、本当に嬉しく思います。10ヶ月間、大変つらい思いをして撮った映画が、完成できて幸運に思います。低予算で撮ったこの作品が、皆様に観ていただけることができて嬉しいです。

Ｑ１、この作品は、監督の長編デビュー作ですが、何故このような題材を選んだのですか。

Ａ１、主人公は11歳の時に父親と離別していますが、実は自分自身も同じような経験をしています。それ故、父との別れが、その後の物の見方に影響しています。映画の勉強をした後、私は西南地区で生活しはじめました。中国は土地が違えば、色々な暮らしがあります。私自身は東部の出身ですが、西南地区での生活を経験し、幼い頃の心の遍歴と、西南地区の人々の暮らしをあわせて映画にしました。そして、父に対する思いをまとめ、こういった題材を選ぶことにしました。
        Ｑ２、押し迫る緊迫感が、洪水によって効果的に演出されていましたが、あの洪水は実際に起こったものなのですか。

Ａ２、撮影をした地区は、洪水が多発する地区であり、97年には大きな洪水で家屋が水没し、大変な被害を受けまして、住民は20日後に漸く帰宅できたほどでした。97年から2005年にかけて、頻繁に洪水が起こりましたが、97年程ではありませんでした。洪水とは、この地区を象徴するものであり、人々は洪水がやってくるので、引越しの準備をしており、その様子が印象的だったのを覚えています。
この洪水のシーンは、ニュースフィルムから取ったものですが、大雨のシーンは、7〜8ヶ月の間、大雨がやってくるのを待って撮ったものです。我々には、消防車を頼んで、雨を降らせてもらうお金がなかったので、そうやって、何ヶ月も待つしかなかったのです。
今年もまた、西南地区は大雨に見舞われました。

Ｑ３、根本的な質問ですが、少年は何故あひるを背負わなければならなかったのですか。

Ａ３，この少年は、父親を探しに行って、街でしばらく生活しなければならないと思ったので、あひるを売って生活費にしようと思い、あひるを背負って行ったのです。映画の中で、刀傷の男が、お金を出してあひるを買いますよね。

Ｑ４，この映画に出ている人は、ノンプロであり、また、あひるという動物の出てくる映画ですが、演出の点で大変だったのではないですか。

Ａ４，出演者は地元の方々で、80％はプロデューサーの親戚や家族一同です。主人公の少年は、プロデューサーのお父さんの大親友の息子さんで、プロデューサーのことを「お姉さん」と呼ぶような仲です。その他の人も、ホテルを経営している人や、タクシーの運転手、街のチンピラなどです。刀傷の男は、実際にチンピラで、街でショバ代を要求する人なんです。私が、映画の出演のことで電話したとき、彼はお金に関することだと思い、ショバ代を集めるお願いをしてきたと勘違いしました。
また、あひるは、お金がなかったので、たった二羽しか買えず、撮影中の10ヶ月間ずっと飼っていました。最初の頃は、芝居ができませんでしたが、最後の2ヶ月くらいになると、演技が上手になってきました。ずっと撮影中飼っていたので、情が移ってしまい、最後は食べるなんてせずに、お寺に預けて、えさ代のお金を置いていきました。

Ｑ５、この映画は完成までにどのくらいかかり、どんな苦労がありましたか。

Ａ５、この映画はポスプロを除いて、撮影だけに10ヶ月かかりました。出演者が地元の住民の方々だったので、皆自分の仕事や家族のことで忙しい中、すべてノーギャラで出てくれました。その方たちの都合を手配するのに、かなり苦労しました。また、製作費が少なく、一番寒い時期に、撮影を2ヶ月中断せざるを得ませんでした。その間、別のアルバイトをして稼いだお金を、製作費に充てたりしました。
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    <title>「完全な一日」 Q&amp;A</title>
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    <published>2005-11-24T10:00:00Z</published>
    <updated>2007-03-23T12:51:27Z</updated>
    
    <summary>上映終了後、ジョアナ・ハジトゥーマ監督とカリル・ジョレイジュ監督をお迎えしてQ&amp;...</summary>
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        上映終了後、ジョアナ・ハジトゥーマ監督とカリル・ジョレイジュ監督をお迎えしてQ&amp;Aが行われました。

林ディレクター: この作品は、スイスのロカルノ映画祭で国際批評家連盟賞とドンキホーテ賞の両方を獲られたレバノン映画です。今朝到着されたばかりでお疲れと思いますが、一言ずつご挨拶お願いします。

ジョレイジュ監督:まずは東京に来られてとても嬉しいです。関係者の皆さん、映画祭に呼んでいただき本当に感謝しています。この映画は私の個人的な思い出から出発しているものです。というのも、私の叔父が17,000人の内戦以降行方不明になっている人の1人だったのです。この行方不明者を扱うことの興味深さというのは、現代の問題を扱うことにもなるということです。つまり、今、レバノンでは内戦からの復興が目覚しく進んでいますが、一方で彼らは未だ帰ってきていないのです。ですから、この映画に取り組むにあたっての私たちの問題は現代と歴史ということにどう取り組むかということ、言い換えれば、直線的な物語を語ることができない歴史をどう映画として取り込むかということでした。ですから、私たちはもちろん物語あるいは歴史という過去を持っていますけれども、その過去からの贈り物を敢えて覆すことで、むしろ未来に向かおうと、ある種モダニスト的なアプローチでこの作品に臨みました。そうすることである種の緊張感、ヒステリックなまでの緊張感を作品に持たせようとしました。
        ハジトゥーマ監督: 私たちの住んでいるレバノンという社会は大変に共同体的な側面が強い社会です。その中ではなかなか個人として行動することが難しい社会だとも言えます。その問題というのは実はレバノンということ以上に大きな問題だと考えています。私たちが注目した1つの大きな問題はリズムの問題です。例えば、映画の中で（主人公の）母親はその社会の構造の中で、夫が実は死んでいるという立場で行動することは許されていない、夫が行方不明になってもう何年も経っているのに、あたかも夫がいるかのように生活しなければならず、一方で息子の方はガールフレンドを自分の頭の中から追い去ることができない、忘れ去ることができないのです。つまり、現代社会というのは極めて速いリズムで動いています。しかし本当にその速いリズムというのは私たちにとってそんなに大事なことなのかということを問いかけようと思ったのです。ゆっくりしたリズムではなぜいけないのかという問題があると思います。もう一つ私たちが注目したのはリズムと関わることですが、人間の身体という問題です。つまり、人間の身体をどうみるのか。その点で特に興味深かったのは、マレクという息子の人物ですけれど、最初、寝ているところから始まって、しばしば寝ているシーンもありますけれど、一方で基本的には極めて活動的な、いつも体が動いているような人物です。彼のような身体を、特にベイルートのような町、極めて活動的で躍動感のある都市の中においたらどのように見えるのかということに非常に興味を持ちながら演出しました。最後に、この映画の演出についてもう1つ言いたいことがあります。この映画は極めて低予算でして、現実を再現するという通常、劇映画でやる方法は取ることができませんでしたし、敢えて取ろうともしませんでした。例えば、エキストラというものは一切使っていません。交通渋滞のシーンがあれば本当の交通渋滞の中で撮影しましたし、海岸のシーンを撮る時にも、普通の映画撮影のように通行人を止めて、他人が入って来れない状態を作って撮影するのではなく、本当にその場で海岸に遊びに来ている人たちがそのまま写ってしまうような撮り方を敢えてしてみました。そのように、登場人物を現実の中に挿入していくというやり方でやってみたのです。敢えてこのやり方についてドキュメンタリーという言葉を使おうとは思いませんが、リアリティの中に登場人物を挿入していくというその一方で、むしろ一つ一つ、極めて美的に作りこまれた構図を作ろうとしました。この2つの、ある種ドキュメンタリー的スタイルとその一方で作りこまれた構図という2つのスタイルが映画の中で衝突することでどのようなことが現れてくるのかということにも興味を持ちながら作りました。

ジョレイジュ監督: もう1つ演出の上でやったことというのは、例えば登場人物をきちっとしたフレームの中におさめて、じっと待ちながらその人物の身体に何が起こるのかということを見ようとしたのです。この映画には実は脚本というものはありませんし、出演者は母親役の人以外はすべてプロの俳優ではありません。その人たちを現実や物語の状況の中に置くことで何が起こるのかということを見つめていこうと思って作った作品です。

Q:煙草がこの映画の中で重要な役割を占めていると思うんですが、これは偶然なんでしょうか、それとも何か意味があるのでしょうか。

ジョレイジュ監督: 一つにはレバノンでは喫煙は大変に盛んで、レバノン人の多くが大量に煙草を吸います。煙草の問題で1つ興味があるのはその中毒性、依存性がある問題だということですね。もう1つ興味があったのは、煙草というのは吸えばどういう効果があるのかが分かっているのに、皆、煙草を止めずに吸い続ける、何本も吸ってしまう、それはなぜなのかということです。これは極めて映画的な問題だと思っています。それで、敢えて煙草というものを使ってみました。

ハジトゥーマ監督: もう一つ、中毒という問題に付け加えて言うと、例えば、主人公の青年はガールフレンドにある種中毒というか、依存症的にとりつかれている状態にあります。これはもっと大きな意味で言えば社会の問題として、レバノンは15年から17年の長い内線を経験した国ですから、そういう意味では私たちは戦争の中毒になっている、戦争依存症になってしまっているとも言えると思います。例えば、夜のシーンをこの映画で見せていますが、皆、夜通し外に出て遊んでいるんですが、なぜ夜に落ちついて寝ていられなくて、外に出て行くのかということは、レバノン人が長い内戦の歴史によってある種の戦争中毒状態になっていることと何か関係があるのではないかと思えるわけです。つまり、落ち着いてゆっくりしていることができない、常に緊張状態になければいけないという感覚がレバノン人にあるのではないかと思うのです。

Q:日本人の目から見て、少しよく分からなかったのは母親と息子の関係が身体的にも精神的にも非常に密接な感じがしたんですけれども、2人が非常に孤独な家族として社会の中で苦しんでいるからなのか、レバノン人の普通のコミュニケーションとして示されているのでしょうか。

ジョレイジュ監督:私は社会学者ではないので上手く答えられるかどうか分かりませんが、できるだけきちんと答えてみようと思います。一つには、この家庭という特別な状況の中で母親が息子にいろんなものを投影しているのだろうと思います。というのは、当然夫がいなくなって何年も経っているので、そこにいろんな役割を求めてしまう、投影してしまう ― そこには行方不明になった父の役割、家長の役割をも息子に求めてしまうという部分があるわけです。もう一つ重要なのは、レバノンの文化の特異性かもしれませんが、レバノン社会においては身体との関係というのは極めて重要なのです。つまり、人に会ってもすぐに抱き合ったり、肩をたたいたり、キスをしたりという身体的接触は日常的に行われています。そのようにレバノンの文化というのは大変に肉体的であり、身体的であり、官能的な文化です。そこで、特にこの母親の役割で重要なのは、十何年間も夫が行方不明であるということは彼女にとっては触るべき身体というものがない、そこで彼女にとっていわゆる肉体の不在、自分自身にとって気持ちの中で肉体というものがないということが彼女にとって大変大きな問題になっているだろうと思います。

ハジトゥーマ監督:もう一つ付け加えたいのは、先ほども言ったかとは思いますが、レバノン社会は共同体的な側面の強い社会です。従って、その中での家族というのは極めて大きな役割を持っています。レバノン人にとっては、家族は非常に大切であり、ひとりひとりの人間は家族に依存していますし、家族もまた私たちひとりひとりに依存しています。私たちは毎日のように電話を掛け合ったり、いろいろ話をしたりしています。で、そういった家族の絆が異常に強い社会の中で、しばしば人間は個人として自由となることは難しくなるのです。そういった社会の強い家族の絆の中で、家族と縁を切ることなく、しかし一方で1人の人間として自由に生きるということがどういうふうにすればできるのかが大きな問題であり、私たちが作る全ての作品がそういう意味では、私たちの告白の部分、その自分たちが一番悩んでいる問題について語っていることになると私たちには思えます。
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    <title>「サグァ」 Q&amp;A</title>
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        映画の上映後、カン・イグァン監督と主演のムン・ソリさんを迎えてティーチインがおこなわれました。

林ディレクター:監督は本作がデビュー作ですが、脚本も書いておられて、9月のサンセバスチャン映画祭ではモンブラン賞という新人脚本賞を受賞されていますが、これは最初からムン・ソリさんを想定してアテ書きで脚本を書かれていたんでしょうか。

監督:実は最初にシナリオを書いている時は、誰も想定していませんでした。ですが、書き終えて、この役が誰に合うかと考えた時に最初に浮かんだのがムン・ソリさんでした。
        林:ムン・ソリさんから一言ご挨拶を

ムン:今回このようにまた皆様とお会いできて嬉しいです。実は、昨年の東京フィルメックスの時期にこの「サグァ」の撮影をしてまして、監督にお願いして10日ほど時間を空けていただき、フィルメックスで審査員をさせていただきました。その時は、まさかこういう形でまたお会いできるとは思わなかったのですが、去年スケジュールを空けてくれた監督にお礼を言いたいと思います。またこのようにご縁があって皆様とお会いできたことも嬉しいですし、少し長い映画にもかかわらず最後までご鑑賞いただきありがとうございます。

林:東京フィルメックスからもカン・イグァン監督に10日間空けていただき、ムン・ソリさんを審査員としてここにいらしていただけたこと、心よりお礼申し上げます。

林:ムン・ソリさんは新人監督の企画を選ばれる際にはまず脚本を読んでから選ばれるのか、監督と最初に会って企画を聞いた段階で出演しようと決められるのか教えてください。

ムン:まず、私はどんな監督かということを考える前にシナリオを読んで内容を考えます。その内容がぜひ出演してみたいいい作品だ、やりがいがあるなと思えたら、監督さんにお会いして、実際にどんな考えを持っているのかということを話し合って選ぶようにしています。ただ、カン監督が隣にいらっしゃいますが、新人監督の映画に出ることは少なからず勇気を必要とします。やはり経験の多い監督さんよりは作業をする際も冒険となることが多いです。ただ冒険であるだけに、得るものも非常に多いですし、スリルも感じることができます。今、スリルと申し上げましたが、それは一つのたとえだったんですが。実際、カン監督と衝突も多かったんです。今回の主人公というのは29-30歳の韓国の女性なんですが、そういった韓国の女性をどういうふうに等身大に、現実味を持って捉えるかという点において考え方が結構違ったりして、現実を把握するのは難しかったです。でも、今日この客席で一緒に上映を見させていただきましたが、そういう監督とぶつかり合うというプロセスも全て私の血や肉となっている様な気がします。

Q:この映画はヒロインの視点に立って、それを生かして描かれた映画だと思いますが、男性である監督がなぜこういう映画を作ってみようと思われたのか。また、最後のクレジットにインタービューをした方たちへのお礼が出てましたが、これは脚本を書くにあたって色々な男女の方にインタビューを行われたということなのでしょうか。

監督:まず自分の周りの人の話を聞いたのがこの映画を作るきっかけでした。10代の終わり頃というのは男性同士で集まると話題が殆ど女性のことに集中してまして、関心も女性にばかり向いている気がしました。この間会った女性はどうだったとか、女の子をナンパできたとかできなかったとかそういう話題ばかりなんですが、20代後半くらいになりますと、今度は結婚している人は自分の奥さん、お付き合いをしている人は恋人の話になり、ここのところの性格が違うとか、どういう関係を結んでいったらいいのかとかいった話題になってしまいます。そういうのを聞いていくうちに、愛という形を描く際に、愛の生まれる時というよりもその愛をどうやって維持していくか、その点を映画にして描けば共感を得られて、楽しい映画ができるのではないかと思い、この企画をスタートしたわけです。で、そういう性格のものでしたので、いろんな人たちから話を聞く必要がありました。50組ほどのカップルから話を聞いたんですが、そのとき私の取った方法は、まずは男性、女性別々に今までの付き合ってきた過程について全て話してもらい、両方の話をつき合わせてみるとお互い重要と考えている点が違ったり、ぜんぜん違う話になっていたり、非常に興味深かったです。当初、主人公は男性にするか女性にするかは決まっていませんでしたが、これらを参考にしてシナリオをまとめていくうちに20代後半の女性の視点から描いてみたらどうかとなったわけです。今回の映画はあくまでも女性の視点に立って描かれた映画だと言えます。

Q:最近の韓国映画に比べ、この作品は割とオーソドックスで普遍性があり、同年代の女性が感情移入しやすいと思いました。そして手法に関してはクローズアップが多用されていた作りになっていたと思います。特に、ムン・ソリさんの演技の表情の変化とか角度によっては全く別の顔に見えたり面白かったのですが、これは監督が意識されてクローズアップを多用したということがあるんでしょうか。

A:最初この映画をどういう形で撮るかを考えた時に、普通であれば場所をじっくり見せて、その後に顔を見せるという手法が多いんですが、私は場所よりも人物が重要だと思いました。皆さんもお分かりだと思いますが、ムン・ソリさんの表情の演技が非常にいいので、遠くから見せるのではなく、近くで長く表情を見せたいなという気持ちがありました。もちろん場所や環境から伝わるものもあるんですが、顔からいろんな話が分かるんではないかと思ったわけです。おっしゃるとおり、ストーリーも結構普遍的、一般的なもので取り立てて特別なお話というわけではないかもしれませんが、私は細かいニュアンスの違いを描き出したいと思いました。例えば、相手が何か一言言ったときにそれを聞く相手はどういうふうに受け止めるかというのは細やかな表情とか小さな顔の動きから分かるのではないかと思いましたのでできるだけ近くで撮影をしようという努力をしました。

林:そういういわゆる女心をすばらしく演じていただいていたんですが・・・ムン・ソリさん、監督の意図でクローズアップを多用しているというところで、特に注意したところや苦労されたところはありますか。

ムン:最初から監督はクローズアップを多用すると言う話は殆どなかったんですね。もっぱら最初の頃は、シナリオや内容について、女性の気持ちはどうだとかいうことについて話し合っていました。確かにその瞬間の表情を捉えるよと言う話は聞いていましたが、ここまでクローズアップが多いとは思わなかったんです。で、いざ撮影が始まってみますと、本当にカメラが自分の顔の間近にあって、最初はプレッシャーを感じました。馴れていませんし、クローズアップを撮られるということについて本当に肩の荷が重いような気がしました。クローズアップというのはご存知のとおり大きな画面で見ますと、小さな動きでも全て見えてしまうわけなんですね。遠くにカメラがあって演じる時には、結構体の動きを大きくしてもそれほど目立たないんですが、近くで撮られてる場合にはほんの少し体を動かしただけでも大きな動きのように見えてしまい、最初は私も体が硬直するような感じでリラックスできず、自然にできなくて難しいとなと思っていました。なぜこんなに近くで撮るんですかと不満を漏らしたこともあったんですが、だんだんやっていくうちにカメラが近くにいることに慣れてきました。今回、クローズアップを多用する映画に出演してよかったと思ったのは、演技をする上で体を大きく動かしたり、大きなアクションでなくても、心で、何かそういう表情でいろんなことを表現できるんだということを教えてもらった気がします。でも、ご覧になった観客の皆さんにはプレッシャーや負担にならなかったでしょうか。
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    <title>「やわらかい生活」 Q&amp;A</title>
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    <published>2005-11-23T06:30:00Z</published>
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    <summary>「やわらかい生活」の上映前に廣木隆一監督と主演の寺島しのぶさんの舞台挨拶があり、...</summary>
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        「やわらかい生活」の上映前に廣木隆一監督と主演の寺島しのぶさんの舞台挨拶があり、お二人から簡単なご挨拶を頂きました。監督からは東京フィルメックスに参加できたことをうれしく思いますと、また寺島さんからは躁うつ病である主人公の役柄に入り込みすぎて、病院に行くくらいにがんばって演技をしたというお話をいただきました。
上映後は廣木監督を招いてのQ&amp;Aを行いました。
        林ディレクター:廣木さんをこの作品で東京フィルメックスにいらしていただける機会が得られて光栄です。廣木監督と主演の寺島しのぶさんとなると当然「ヴァイブレーター」が浮かびますが、どういう企画の流れから今回また組まれることになったんでしょうか。

A:次回作の話をしている時に、プロデューサー･脚本家と相談した結果です。（自然発生的な感じで）寺島さんが最後に参加してくれて、この映画が成立したという感じです。

Q:とても蒲田という町を驚くほどよく知った上で描かれていると思いました。このためにロケハンをされたと思いますが、そのときの苦労話などお聞かせください。

A:ロケーションでの苦労では、車が入れらなかったり、止められなかったりするところが多く、徒歩移動をしながら撮影したのが一番思い出されます。あとは、カットが非常に長いので、人止めをするのに製作さんは本当に大変だったと思います。後ろの方でけんかをしているのを耳にしながら撮影を進めたりしていました。

林:「粋」のない下町と言いながら、蒲田の町の透明感というか空気というのがすごく心に焼き付けられました。またいろんな時（時間）の”町”というのを意識して撮っていらっしゃると思ったのですが・・・

A:そうですね。早朝シーンで妻夫木君と寺島さんが会う駐車場のシーンなどは朝の3時ぐらいにスタンバイして、一瞬の時間を狙って撮りましたし、観覧車のシーンも同様に狙って撮っています。普通に撮ると（画が）べたっとしてしまうと思い、空気の色というのは大切にしようと撮影の鈴木君と話しました。

Q:今後、任侠極道映画を撮る予定はないのでしょうか。また、監督から見た寺島しのぶさんと豊川悦司さんの魅力を教えてください。
A:仁侠映画の話があるんですか? あるんでしたら撮って見たいですが。寺島さんと豊川さんの魅力というのは・・・（笑）もう本当にそのままですけれども・・・寺島さんは芝居に対する集中力はとてもあり、逆に彼女に引き摺られて撮るくらいのテンションが現場で既に出来ている人なので、それはすごいと思いました。豊川さんは多くの映画に出演されている方なので、主役（頭）と脇の感じの芝居のニュアンスを非常によく知っているし、映画もよく知っているので、指示の通りすぐにできるのはすごい役者さんだと思います。

Qカラオケ屋さんのシーンがすごく印象的だったのですが、なぜ選曲が尾崎豊だったんでしょうか。また、主人公の2人はあの曲はご存知だったんでしょうか。練習はされたんでしょうか。

A:主人公たちの年齢設定は35歳くらいで、それくらいだと尾崎豊というのが彼らの青春の中にあったというのが一つの理由であり、もう一つは脚本家の荒井さんが好きだったということです。それと、2人ともほんとはすごく歌はうまいんです、一応言っとこう（笑）

Q:「ヴァイブレータ」の撮影ではビデオが軽やかで、相当きつい状況の中でうまくビデオを使いこまれている、撮影の鈴木さんの見事さを感じました。今回は35mmのフルカメラを使われたと思うんですが、この作品に適していると思います。今回の撮影で監督と鈴木さんが狙いたかった作品的な色というかトーンは何だったんでしょうか。

A:基本的には「ヴァイブレーター」と違う撮り方をしようと思っていました。同じことをまたやるのではなく、違うことにチャンレジしていきたかったのと、今回は作品のカラーが違う映画だということもありました。デジタルビデオに比べて、フィルムのほうが奥行きがあり、質感や色に微妙ものが出せるというところが一番違うと思います。実際の蒲田よりすごくきれいに写っていると思います。蒲田に住んでいる方ごめんなさい。

（林:前半の蒲田の空気感のある町と後半の密室内のシーンの緊張感の途切れないというのはすごいと思います。）

Q:先ほど舞台挨拶で女優さんが病院に行ったと仰っていましたが、どういう状況だったんでしょうか。

A:集中しすぎたんですね。豊川さんとけんかをするところ、お互いの心情を言うところがあって、そこのシーンは精神的にきついのと、病気になってからの寺島さんの役作りというのは入り込んでいるということになり、体力的にも精神的にもきつかったと思います。

Q:英語に関しての質問ですが、英語タイトルの「It&apos;s Only Talk」は原作（同名)から来たものですか。また、それと邦題「やわらかい関係」とはどういう関係があるんでしょうか。また、原作が蒲田を舞台にしているのですか。映画の中で、金魚に「うどん」と「そば」という名前をつけていますが、英語字幕では&quot;Laurel&quot;と&quot;Harley&quot;となっているんですが、どなたのアイディアでしょうか。監督はそれに対してどう思われますか。&quot;Laurel&quot;と&quot;Hardy&quot;は有名なアメリカの喜劇俳優のコンビなんですが。

A:僕は英語はそれほど得意ではないので、翻訳者にお任せしてしまっています。「It&apos;s Only Talk」という原作を映画にしたものですが、原作も蒲田を舞台にしています。:「It&apos;s Only Talk」というのはロックのタイトルにもあるんですが、今回はそれを使わず、「やわらかい生活」のほうがみんなに浸透するかなと思い、このタイトルにしました。

この映画は松竹によって2006年初夏に公開予定です。
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    <title>11.23. トークイベント『日本映画のいま　廣木隆一監督の映画術』</title>
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    <published>2005-11-23T05:45:00Z</published>
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    <summary>東京フィルメックス５日目。特別招待作品として上映される『やわらかい生活』の廣木隆...</summary>
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        東京フィルメックス５日目。特別招待作品として上映される『やわらかい生活』の廣木隆一監督を迎えてトークイベントが開催されました。『ヴァイブレータ』の監督と主演コンビによる２作目ということで早くも話題を呼んでいる同作。司会進行は監督とは旧知の映画評論家・塩田時敏さん。廣木監督が助監督時代から面識があるというだけに、楽しいトークが展開されました。また終盤近くに寺島しのぶさんが乱入!?　『ヴァイブレータ』『やわらかい生活』と廣木作品に２度主演した寺島さんから思わぬ本音が飛び出すなど、映画祭でなければ聞くことができない撮影秘話に会場は興奮。笑いが絶えない一時となりました。
        塩田「こんな格好ですみません。披露宴帰りなもので（笑）。廣木監督は結婚しないの？」
廣木「結婚したいんだけどね、許してくれないみたいで」
塩田「誰が？」
廣木「誰がだろう（笑）」
塩田「披露宴帰りでこんなことを言うのも何ですけど、今どきね、結婚なんかする人は気がしれないと僕も思うんですけど」
廣木「塩田さんは何で結婚しないんですか？」
塩田「いやー、ハハハハハ。これから皆さんがご覧になる『やわらかい生活』のヒロインは30半ばで結婚せずに精神科に通いながら色んな男たちとつき合う話ですよね？」
廣木「そうですね」
塩田「今までの廣木映画には結婚しているヒロインって出てこないですよね？」
廣木「何でしょうね。僕の周りにはいっぱいいるんですけど、僕自身があまり結婚生活には憧れていないというか…」
塩田「そのほうが今という時代を描けるという考えですか？」
廣木「人間関係を描く場合はシングルのほうが描きやすい。決まった関係性がある家庭生活よりも、出会いがあったり、別れがあったり、シングルで色んな選択があるほうが映画として面白いかなと思って」
塩田「日本映画の伝統的なものとしては、ちゃんとした夫婦生活があって家庭生活があるというのが昔からの基本だと思いますけれど。でも最近は、結婚している設定では面白い映画にならないのかな」
廣木「いや、ホームドラマはそのうちやりたいと思っているんですよ。親と子、夫婦という関係性にも興味はありますけどね」
塩田「この『やわらかい生活』は前の『ヴァイブレータ』の大好評を得て、同じ監督と同じ脚本家、同じ主演女優から話が始まっているんですよね？」
廣木「そうですね。『ヴァイブレータ』がいい感じだったので、また違う女性像をという」
塩田「『ヴァイブレータ』は日本のみならず世界的にも、はっきりぶっちゃけて、今までの廣木映画ではいちばん評価が高かったんじゃないかと」
廣木「そう。今まで代表作は『性虐！女を暴く』だったのが、『ヴァイブレータ』の…って言われますよね」
塩田「それは自分としてどうなんですか？」
廣木「いや、どれが代表作かと言われるとちょっと違うと思うんですよ。常に動いて前に行こうとしているんで、どれがと言われてもないんですよね」
塩田「もちろん『ヴァイブレータ』は廣木映画と観なくても映画としてものすごい傑作だと思いますけど、今度の『やわらかい生活』はそれに比べると廣木さんらしいなと感じて。それは一つに舞台となっている蒲田という町。その町を生き生きと捉えているというか、町そのものがキャラクターを語っていく映画になっているので、それこそ今までの廣木映画に通じますよね」
廣木「塩田さんはずっと観てくれていますからね。いつもうちの組はロケハンがしっかりしていると仰ってくださいますが、本当に舞台となる場所とストーリーのかみ合わせが自分の中でしっくりこないと撮れないので、そこは気にするところではありますけど」
塩田「『性虐！女を暴く』は廣木監督のデビュー作なんですが、舞台は横浜で、撮った場所は新宿でした」
廣木「そうそう（笑）」
塩田「廣木さんが助監督の頃から面識があったんですが、僕がたまたま新宿のゴールデン街で飲んでいた帰りに通りかかったら『性虐！女を暴く』の撮影をやっていて、ちょっと出ることになったんですよ。で、新宿三丁目を歩いている僕たちに廣木さんは“横浜を歩いているように歩け”と言うわけ。それがどう違うのかよく分からないんですけど（笑）」
廣木「今でもそれを言われると“横浜を歩いているように”と言ったのは失敗だったなと思って（笑）」
塩田「都内を歩いているのに横浜の雰囲気を出したいという。ま、ピンク映画だから横浜まで行けないんだろうけど、予算がない中で微妙にこだわっているのが印象に残っているんですよね」
廣瀬「今回は原作が蒲田を舞台にしていて、それがやりたいと思った理由の一つでもあるんですけど。蒲田って行ってみるとすごく猥雑というのかな、蒲田に住んでいる方がいましたらごめんなさい（笑）。何かすごく面白い街だなと思って。東急と京急とJRの３つの駅があって、それぞれに商店街があって、それぞれの特徴があって、一貫性というのがないんですよね。横丁を曲がるとすぐに全然違う雰囲気になったりするところが、惹かれた部分でもありますね」
塩田「この作品は予算があったと思いますが、ピンクの頃は予算がないので本当は遠くに行きたいけれど都内で撮らざるを得ない。その時に監督が良く言っていたのは小洒落た？　僕は“シティピンク”と名付けましたけど。都会の風景を絶妙に切り取って、都内のどこにこんな風景があるんだろうと思うようなロケセットとか…。もちろんセットは建てられませんから、実際にある物を見つけてきて、そこに役者を立たせてドラマの核心が語られていくわけですけどね」
廣木「あの頃、４日間か５日間で撮ってたじゃないですか。意外と僕は天候に恵まれなくて雨があって雪があって曇りがあるぐらい全然つながらないんですけど、結果的にいいシーンになったりして、逆に自然を味方にできましたね。雪が降ったから止めようとは思わなくて、雪が降ったら降ったで内容にプラスにしていこうというね、そのライブ感はピンク映画がいちばん面白い」
塩田「撮影期間がたった４日か５日しかないのに天候がそんなに変わるというのは運に恵まれていないのかもしれないですけど、雪の中のシーンにポツンと赤いコカコーラのベンチがあったりするようなショットは降らそうと思って仕込めるものじゃないし…」
廣木「そうそう。ロケハンに行ったら普通の河原じゃないですか。ま、ベンチを置こうかなというのはあるけど、真っ白になるのはすごいでしょう」
塩田「ある意味、悪運が強いというか（笑）。そういうものをちゃんと昇華してやっていくのは今の恵まれない日本の映画監督にとっては重要な才能だと思います。今回の蒲田は小洒落たという感じよりはもっと広い感じの色んなニオイが出ていて、その分、廣木映画の厚みというか幅も出てきて巨匠になったかなと」
廣木「まだまだ駆け出し者ですから（笑）。いや、最初は蒲田のどこをいちばん捉えたらいいのか分かんなくて。川が流れているんですけど、その川とヒロインの家の設定であるお風呂屋さんの前の道がすごく蒲田っぽくて良かったなと思います」
塩田「蒲田の映画館には行ったことないですけど、行ってみようかなという気にはさせられますよね。それはまぁ、寺島しのぶさんみたいな人が住んでいるんだったら（笑）」
廣木「いや、住んでいないと思いますけど（笑）」
塩田「この後も監督は色々撮っていますが、近々観れるのはBSi祭り？」
廣木「『女スパイ道』という４分50秒の作品とBSで撮った『終わらない歌を歌おう』。『終わらない歌?』は２つのドラマをくっつけて前編／後編とした40分位の作品ですけど雰囲気も全然違いますね」
塩田「雰囲気も違いますが、他の監督は20代30代の若手ばかりで、その中に50代の廣木隆一の名前が入っていていいのかと。『やらわかい生活』を撮った後もまたそういうのをやっちゃうみたいな？　そんなに軽くていいのかと思うんですけど（笑）。もうそろそろ重鎮というか巨匠にならないと」
廣木「まだ20代後半なので、まだまだです（笑）」
塩田「どっちを撮るにしても自分のスタンスは変わらないわけでしょう？」
廣木「そうですね。『女スパイ道』はただ走っているだけですし、『終わらない歌?』はブルーハーツの曲が主題歌で25、6の女の子の話ですね」
塩田「『４TEEN』は少年たちの自転車を追いかけて渋谷まで行く話でしたよね？」
廣木「あれも原作が月島を舞台にした小説で、月島にこだわってスタッフが頑張ってロケーションをして、それがうまく出ていたなと思いますね」
塩田「同じようなこだわりで、『機関車先生』の時は田舎の風景にこだわっていた」
廣木「いい所だったですよ、一ヶ月位いましたけど。でも船で島へ行って撮影するのはすごく大変でしたね。それに昭和の時代を、CGじゃなくてそのまま撮るというのも初めての経験だったので新鮮でしたね」
塩田「そういう所まで行くと映画を撮っている感じはしますよね？」
廣木「そうですね。俺が『二十四の瞳』やってるのかー、みたいな（笑）」
塩田「『機関車先生』は男性が主人公でしたけど、どちらかと言うとロマンポルノの時代から女優さんが中心にいるんだけど、どちらかと言えば周りの男達に気持ちがいってますよね」
廣木「男の気持ちは男なのですごく分かる。女の気持ちはやっぱり難しいなと思いますね」
塩田「そういう流れの中で『ヴァイブレータ』から『やわらかい生活』につながり、女性の心情にピタッと寄り添う廣木映画が出来たかなと感じているんですが、監督はどうですか？」
廣木「それはもう素晴らしいヒロイン、女優さんがいてくれたから。ここで呼びますか？」
塩田「そうですね、お呼びしましょうか。では寺島さんどうぞ！」
寺島「こんにちは、寺島です。また廣木さんに呼ばれて２本目を撮ることができました。廣木組って組ですけど、戦いのような現場なので、組って言われてもなぁーという感じです。でもまぁ、雇われる限りは３本４本と戦い続けたいなと思います」
廣木「そんな体力持たないよ」
塩田「今日初めて『やわらかい生活』のポスター見たんですけど、ヒロインが風呂につかっているポスターというのはどうなんでしょうか？」
寺島「これは本当のポスターですか？」
廣木「そうですね、これがメインビジュアルです」
塩田「悪い感じはしないんですけど、不思議だなと思って」
寺島「うん…」
廣木「一応シャボン玉みたいな感じで泡なんですけどね」
寺島「でも丸っこく小ちゃくいる人達、豪華ですよね。何か申し訳ないですよね」
塩田「男なんてみんなシャボン玉みたいな感じでいいじゃないですか（笑）」
廣木「お風呂にいる優子ちゃんが金魚で、金魚の泡という様に観てもらえれば」
塩田「なるほど。映画のほうも同世代の女性が観ても共感できるし、男性が観ても頷いちゃうし」
寺島「ご覧になって下さったんですか？」
塩田「観たじゃない、初号の時に。あの時はまだタイトルが『晴れ時々ユーウツ』？」
廣木「『雨のち晴れ、時々ユーウツ』」
塩田「それは寺島さんがつけたの？」
寺島「いや、つけてないですよ」
廣木「僕がつけたんですけどあまりにも評判悪いので」
塩田「長いし、覚えられないですよ」
寺島「題名が長いとね」
塩田「『やわらかい生活』はなかなかいいんじゃないですか？」
廣木「何かしっくり来たんで」
塩田「原作は『イッツ・オンリー・トーク』ですが…」
寺島「本当は『イッツ・オンリー・トーク』がいいですよね」
廣木「（苦笑）」
塩田「確かにそのニュアンスは日本語でも分かると思うし、カッコイイですけど、ちょっと蒲田には似合わないかな（笑）」
寺島「蒲田は本当に治安が悪かったですね」
廣木「蒲田に住んでいる人が若干いるよ。だから発言には気をつけて」
寺島「ごめんなさい。でも私すごい絡まれたんですよ。お昼間から真っ赤なオジちゃんが自転車でふら?っと来て、みんな全然知らない顔して、私だけ一人絡まれて…」
廣木「準備が忙しかったので…」
寺島「廣木組ってこんな感じなんですよ」
塩田「いいじゃないですか、ファンとスターの距離が近い街ということで」
寺島「餃子は美味しかったよね」
塩田「ファンじゃないのか」
廣木「ただの酔っ払い」
塩田「そういう街のニオイもこの映画のアクセントになっていますよね。ところで、この後もお２人での３作目は考えているんですか？」
廣木「考えている企画はあるんですけど、まだ発表できる段階ではないかな」
塩田「廣木組はやりたくないという気持ちはないでしょう？」
寺島「毎回撮影中はずっと思っています」
塩田「でも終わったら、やりたいと？」
寺島「終わったら普通になるんですけど。本当に撮影中は喋らないですね、全く。私も喋らないし」
廣木「『機関車先生』になってしまうので…」
塩田「現場でベラベラベラベラ喋っている監督さんもいますけど、女優さんとしてはどっちがいいんですか？」
寺島「監督と仲良くして円滑に運んで楽しい現場というのも廣木組以外だったらいっぱいありますけど」
廣木・塩田「（笑）」
寺島「でもこういうね、ツライなーと感じる現場も少ないんじゃないかと思って。それは大切にしていかないといけないのかなーって」
廣木「ちょっと反論しとく。準備の時は和気あいあいとやっているんだけど、寺島さんが現場に入るとみんな黙るんですよ」
寺島「えー、そんなことないですよね（笑）」
塩田「監督も色んなタイプの方がいますからね。結果オーライということで」
寺島「そうですね。でも『ヴァイブレータ』が終わった時は本当にもう二度とないだろうなと思いました。で、ラッシュを観て…、本当はラッシュにも行きたくなかったんですよ。納得いかなくて。だけどラッシュを観て、“すごい素敵な映画だな”と思ってから何となく逆転していったというか。だから監督の作品が好きなんでしょうね」
塩田「監督じゃなくてね」
寺島「うん」
廣木「そんな突っ込み入れるのか、微妙だな」
寺島「監督を好きな女優さん、いっぱいいるんですよー」
塩田「色々アプローチはありますよね？　だから結婚できないのかもしれないけど（笑）」
寺島「結婚したら出るのやめようと思って」
塩田「監督が結婚したら？」
寺島「そう」
塩田「ああ、なるほどね。何となく分かります。じゃあ結婚できないですね、いい映画を撮るためには」
廣木「いい映画を撮るために結婚を犠牲にするぐらい僕は…」
塩田「じゃあ僕は廣木さんの披露宴には行かなくていいのか。葬式だけに出席します」
廣木「恐れ入ります」
塩田「これから益々いい映画を撮っていただきたいと思います。皆さんはこの後、上映がありますのでお楽しみ下さい。どうもありがとうございました」
廣木・寺島「ありがとうございました」

（取材・文：北島恭子）
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    <title>『雪崩』生伴奏付き上映　Q&amp;A</title>
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    <published>2005-11-21T10:00:00Z</published>
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        第6回東京フィルメックスの特集上映のひとつ「映画大国スイス1920’s-1940’s」が、ジャック・フェデー監督「雪崩」で幕を開けました。まず、スイスフィルムズのサビーナ・ブロッカルさんより挨拶、引き続き審査員のマリアン・レヴィンスキーさんから作品についての解説がありました。
        ML「皆さん、こんばんは。この『雪崩』という作品は2人のスイスの映画プロデューサー、ディミトリ・ドゥ・ツバロフとフランソワ・ポルシェによりジャック・フェデーが制作したものです。ドキュメンタリーの手法がところどころで使われていますが、これは１９２０年代のヨーロッパでは目に見えない内面を表現することが目標となっていたからです。また、この映画ではスイス的な表現もあります。一つ目には控えめな表現であること、二つ目は自然の存在感があたえられていることです。大正１５年に日本で初めて上映されて、そのときは非常に当たったそうですが、当時は弁士がついていました。今日は弁士ではなく、ニキ・ネーケの伴奏です。どうぞ楽しんでください」

また、「雪崩」の上映後にはサウンド・デザイナーのニキ・ネーケさんとのＱ＆Ａが行われました。

林）とても素晴らしい演奏をどうもありがとうございました。これは、サイレント映画に伴奏を入れたというよりも、伴奏が入っているバージョンを見たような感じですね。サウンド・デザイナーとは、あまり耳慣れない言葉ではありますが、この上映のための準備にはどれくらいの時間がかかったのでしょうか？
ニキ）まずお礼をいいます、今日は来場いただきまして、どうもありがとう。東京フィルメックスとスイスフィルムズにも感謝しています。サウンド・デザイナーは考えてみると、ライト・デザイナーのようですが、ライトではなく音を扱っていて、また、たくさんの音と遊んでいるようです。または、絵描きのようにも考えられるかもしれません。
制作にかかった時間はトータルで、他の仕事をしながら一ヶ月くらい、最後の1週間は毎日、映画の最初から最後まで音合わせをしていました。
林）人の声にも音がついていましたが、これはどういう音を使って作っているのでしょうか？
ニキ）大切なのは、一人ずつ声がわかるように別々の音にしたことと、父と母の声の音を似た音にしたことです。これは、レコードをスクラッチしてつくりました。父の声は遅くスクラッチして、母の音は速くしています。
林）女の子の声はフルートのようでしたが。
ニキ）男の子の声はチェロ、女の子の声は横笛、フルートを使っています。
林）なるほど。音そのものをどうつくっているのか聞きたいのですが、どのように集めているのか、また音探しの工夫はありますか？
ニキ）三つの音のソースがあるのですが、一つは自然の音で、これはＣＤから取り込んでいます。ノックの音や水の音などの自然の音ですね。二つ目は、特にサイレント映画に伴奏をつけるときによく使うのですが、古いレコードを使います。三つ目は、自分でコンピュータを使ってつくったエレクトロニクスのサウンドです。
林）三種類の音を重ねていくわけですね。映画に音をつけるときに、特に注意していることを教えてくだざい。
ニキ）大切なのは、映画をサポートするということです。感情を盛り上げることです。ときには、アイロニーも入れながらイメージされる音と反対の音も出します。音楽を付けることは映画に魂を入れることのように思っています。
林）監督のジャック・フェデーさんは既に亡くなっていますが、もし生きていてこの会場に来てくださっていたら、もしくは出演者の方々が観ていたら、どんな感想を持たれるのだろうと思うと、とても興味深いです。

来場者とのＱ＆Ａ

Ｑ１）大変感動しました。疎開をしていたころ、家で何度も何度も見ました。９．５ミリだったのですが、今日観てみて、覚えているところが結構ありました。質問ではないのですが、とても感動いたしましたので。どうもありがとうございました。
Ｑ２）1920年代の作品に現代の音を使っていることについて、どうお考えですか。
ニキ）いろんなサウンドを入れています。クラシック、現代、ミニマム、抽象的な音楽などです。この映画が時代を超えて感動できるものであるように、いつの時代にも合うようにと音楽をつけています。
Ｑ３）これからこのように映画に音楽をつけていくような試みは、世界的に広がっていくと思いますか？また、もし知っている方でおすすめの方がいたら教えてください。
ニキ）まだ映画にこのようなサウンドをつけている方は、そんなに多くはないです。４〜５人のグループでスイスのメトロポリス、ポーランドにもいるということを聞いたことがあります。
（取材・文責　渡辺優美子）
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    <title>「マジシャンズ」 Q&amp;A</title>
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    <published>2005-11-20T09:50:00Z</published>
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    <summary>前作の「スパイダー･フォレスト」に引き続き、2年連続の参加、通算で3度目の参加と...</summary>
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        前作の「スパイダー･フォレスト」に引き続き、2年連続の参加、通算で3度目の参加となるソン･イルゴン監督の「マジシャンズ」の舞台挨拶には監督のソン・イルゴンさん、プロデューサーのキム・ジョンオクさん、撮影監督のパク・ヨンジュンさんの3名が来られました。監督からは以下のような、映画の特徴、見所などを含む充実したご挨拶をいただきました。
        お会い出来てうれしいです。今日一緒に来ました私の仲間であるプロデューサーのキム･ジョンオクさん、そして、撮影監督のパク・ヨンジュンさんを紹介します。
この映画は、私たちが一生懸命に作った映画であり、皆さんが気に入ってくださり、楽しく見ていただければ嬉しいです。私はこの場を1年間待ち望んでいました。多くの感動をお持ち帰りいただければと思います。実はこの映画は今日ここで皆様に公開するのが、世界で初めてとなります。というのは、DVという小さなカメラで撮ったものをフィルムに移すという作業をしていまして、今日日本の観客の皆様にご覧頂くのが初めてとなります。非常に期待しております。
この映画は、一言で言いますととても哀しいコメディといえると思います。言葉の違いはありますが、笑いのシーンは盛りだくさんですので、皆さんがここが笑いどころだなと思ったら思い切り笑ってください。そして、特にお坊さんが出てくるシーンでは大きく笑ってほしいと思います。そして、この映画にはカットがありません。つまり、ワンテイクで取った映画なんですが、なぜそのような撮り方をしたかというと、95分という限られた時間の中で、見ている人たちも主人公と共に過去と現在と未来を一緒に楽しんでほしいと思ったからです。どうか楽しんでご覧ください。


「マジシャンズ」のQ&amp;Aは監督のソン・イルゴンさんと撮影監督のパク・ヨンジュンさんの2名に参加いただき、進められました。


Q&amp;A
Q: 釜山国際映画祭で本作のショートバージョンを拝見しましたが、明らかに前後がカットされているだけで、伏線からしても今日のバージョンを意図して作られたと思うんですが、それをワンテイクで撮るということにした理由は何ですか？また、実時間で撮るということは難しいと思いますが、その際に苦労はありましたか？

A: この映画はチョンジュ映画祭のオープニングの作品として依頼を受けて作った作品です。これには日本の塚本晋也監督、タイのアピチャポン・ウィーラセタクン監督が参加しています。それぞれ30分ずつの短編をデジタルで撮って上映するというこの企画は「3人3色」という名前で、最初から30分という制限があったんです。ですが、私が限られた時間の中でワンテイクで撮りたいと思った理由はこの物語を皆さんに現実のものとしてお見せしたいと思ったからです。
今日前方の席の方は見るのが大変だったと思います。画面が結構揺れていましたので、映画酔いしなかったでしょうか。この映画は1つのショットでカットせずにすべて最初から最後まで引っ張って撮ったわけなんですが、どうしても途中でフィルムが切り替わるときにちょっとブレがあったと思います。というのは、フィルムは大きな巻き（ロール）がありませんので、現像した段階で5巻のフィルムに分けなければなりませんでした。それで、ロールチェンジの際にどうしてもブレが出てしまったのだと思います。それは物理的なことで仕方のないことなのでご理解ください。

（パク・ヨンジュン撮影監督）
私は実際に撮る時にあまり深く考えずに撮ったんですね。この撮影で大変だったのは、木の間をすり抜けて撮るということでした。で、この映画は50回から100回位見ているかと思うんですが、見るたびにやはり息の詰まるような思いをしています。ソン・イルゴン監督とは3本の映画をご一緒しています。まず、最初は「フラワー・アイランド」という作品だったんですが、それは本当に山とか谷ですとかそういうところで沢山取りましたので苦労しましたし、去年は「襟」というタイトルの作品をとったんですが、それは済州島というところで台風の中で撮らなければいけないという状況でとても苦労しました。そして今回は1時間半の間ずっとカメラを持って飛び回らなければならない状況でしたので、技術的にも大変でした。ただ、私はあまり深く考えないタチのせいか、それほど臆せずに、あまり色々なことを気にせず撮ったので、却ってよかったのではと思ってます。この点でも個人的に非常に満足しています。

Q: （映画が）ワンカットで出来るとなかなか思えないんですが、うまく出来てると思いました。特に役者さんが素晴らしい演技をしていて、どうやって撮ったのでしょうか。リハーサルは相当やられたと思いますが、実際どうだったのでしょうか。
A:本当にこれは容易ではない撮影でした。先ほど、撮影監督はあまり考えず撮ったと言っていましたが、本当に考えていたらこれは不可能なことで、撮影スタッフも俳優も全くどういう映画が出来るか全く分からない状態で撮影に望んでいたわけです。この映画は35mmのカメラで撮影するのは不可能でした。35mmのカメラというのは非常に重いので人間の体力では1時間半もの間、それを支えきれないわけです。で、今回はステディカムというビデオカメラを使って撮りました。とにかくカメラを体に取り付けているわけで、それをつけているだけでも腰が痛くなってしまって、撮影が終わった後も撮影監督はトイレにも行けないほどに腰を痛めてしまったんです。ですから、2人で交替しながら、カメラをお願いしました。特に寒い時に撮りましたので、リハーサルの途中にもう鼻水が出てしまうんですが、鼻水がずっとあごの方までたれてしまっていても、カメラが動いてしまうので、私たちは拭いてあげることが出来なかったんです。
今回は俳優さんたちはほとんど演劇出身の方を集めました。演劇界では本当に長く経験を積んだ立派な俳優さんたちでした。演劇はご存知のとおり、一度も休まずに演技をするわけなんですが、ですから演劇の経験を持たない俳優さんだったらちょっと無理だったかもしれないと思います。リハーサルについては部分的に、集中的にそのシーン毎にやるようにしていました。通しでずっとやるのはやはり無理だったんですね。体力にも限界がありますので、部分的にリハーサルしまして、そのリハーサルが済むと、3-4時間位休みを入れて、次のリハーサルという形をとっていました。今回の撮影では、本当に照明の数も多かったんです。一般的な商業映画に使われる照明の数からいきますと、大体その３倍くらいはあったのではないかと思います。また、セットもかなり広いセットを作りました。それから照明のコントロールも大変だったんですけれども、サウンドもやはり私はこだわりました　。出来るだけ同時録音をしたいと思っていました。アフレコと言いまして、後から俳優さんの口に合わせて録音するというのは、今回の映画に関して言えば無理だと思っていました。なぜなら、臨場感や現場での雰囲気を大切にしたいと思っていたからです。ですので、韓国映画界で非常に名だたる同時録音のチームを3チーム呼びまして、皆さんに協力いただいて撮りました。それから、クレーンなんかも沢山使って撮ったわけですが、片方のシーンを取っているときにはそのクレーンで撮る人たちは隠れていて、一つの場面を撮り終えると、彼らが出てきて撮るというようなことをしました。私はまだまだ映画の経験は少ない方なんですが、本当に極度の緊張感の中で映画の撮影が続けることができました。でも、この映画を撮ることが出来た耐えうる力というのはやはり俳優さんたちの集中力から頂いた気がします。本当に俳優さんたちが熱演してくれまして、その意味ではこの映画は俳優さんたちの映画だと言えると思います。

Q: 今回95分でワンカットという映画を撮られたわけですが、また今回のような趣向で映画を撮られるというか、何かアイディアとかお持ちでしょうか?

A: おそらく今回参加してくれたスタッフは、もう1回撮ろうと言ったら、皆逃げるんじゃないかと思います。（笑）ですから、別のスタッフを何とか口説いて集められたら、撮れるかもしれません。本当に肉体的な作業なんですね。とはいいましても、やはりいい素材やいい題材があればまたぜひやりたいと思っています。そしてその時は、例えば飛行機に乗ったり、汽車に乗ったりと、今回の映画よりもグレードアップされた映画を撮りたいと思います。
私が今回東京フィルメックスに参加させて頂くのは3度目なんですが、この映画祭の関係者の皆様には感謝したいと思います。韓国の人は、お酒を飲んで結構騒いだりするんですが、そういう文化から今回の映画は生まれたと私は思っています。日本にもお酒を飲んで騒ぐというような文化があるんじゃないかと思いますので、日本の皆様に大いに共感して欲しいと思いますし、この映画をもし楽しんでいただけたとしたら非常に嬉しいです。

「マジシャンズ」は日本公開の予定です（詳細は未定）

（取材・文責　東　紀与子）
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    <title>「バッシング」 Q&amp;A</title>
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    <summary>司会:東京フィルメックスの公式サイトでも監督に事前にインタビューをさせていただい...</summary>
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        司会:東京フィルメックスの公式サイトでも監督に事前にインタビューをさせていただいて、お話を伺ったことがあるんですが、詳しくは（公式サイトを）お読みいただければと思います。その時に監督から今回、この「バッシング」で今までのすごく画作りにこだわった作り方から、逆にスタッフも5-6人に絞って、スタイルを意識的に変えてドラマを描いていこうということに集中したと伺いました。どんどんそぎ落としていって、その中で集中を密にしていこうという、そういうような&quot;演出の力&quot;というのを私は感じ取らせていただいたのですけれども。

監督:何度か作って、本を書いて自分で監督して、というふうになっていくと限界を感じるというか、基本的には、最初に本があって、役者さんが最終的にいて、これで大体もう決まりだなというか・・・いい役者さんというか役にあった役者をキャスティングできるかで映画の80％くらいが決まってるなという。だから、後の20％はどうするかですが、今までは頑張って自分でイメージしたり絵作りしたりしてやっていたんです。自分で、役者にここはこうしてとか言ってると、言っている先からつまんなくなってるんじゃないか、だめにしてるかもという不安があって、役者さんにはなるべくこうやってとか言わないようにしました。
        Q:主人公の有子さんのキャラクターがかなり激しく、すさんでいて、見ているときにはバッシングがあまりひどいので、だんだんとこんな性格になってしまったのかと思っていたのですが、途中からどうも元々こういう女性なんだということがわかってくる展開になっていました。そういう設定にすることで、彼女が海外に行くのがボランティアではなく、現実逃避に見えてしまうんですが、なぜそういう性格の女性に設定されたのか意図を教えてください。

A:こういう話というのはどう作るのかが非常に難しいです。非常にいい人にも悪い人にも描くことは可能ですが、そこらへんにいる女の子、どっちにも偏らない女の子、すごく素敵な女の子でもないし、とんでもない女の子でもない、欠点もあるけど、いいところもあるという普通の女の子にしようとしました。

Q:この作品をみて、海外の方の反応はどうでしたか？この作品はとても日本的な話だと思います。昔ですと部落差別とかいったものがあって、最終的には個人的差別になったような、とても日本的な感じがする作品ですが・・・これを海外に持っていかれてどうでしたでしょうか。

A:カンヌでプレス試写が終わって、とても沢山のインタビューがあったんですが、大体聞かれることは同じで、映画のどこからが本当のことで、どこからがフィクションなのかということでした。「映画で描かれているのは全部フィクションで、中東（イラク）で人質に遭った人が帰ってきてバッシングにあったというのは本当のことです」と言ったのですが、「どうして帰ってきた人がバッシングに遭うのか分からない、それはどうしてなんだ？」と説明を求められました。しかし、何て言っていいのか分からないんです。日本人のメンタリティの問題があるのかなとも思いますし。先日、同志社でマスコミの勉強をしている学生さんたちと一緒になる機会があった際に、そこの先生でアメリカ人が講師から聞いたのは「実際にアメリカでもそのようなことが起こっていて、ひょっとしたら日本よりもひどいかもしれない」ということでした。まぁ、そういう質問しかなかったですね。映画に関しての質問というものはあまりなかったんで、ちょっと寂しかったですけど。

司会:実際のプレスの方はそのような見方をされたかもしれないですが、公式上映を拝見したところ、上映の後ですごく暖かい拍手があり、知人の外国人などからはすごく深く内に響くような印象を受けた記憶があります。実際、カンヌの後も、この映画はほかの映画祭に招待されたりという形で広まっていってますね。
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    <title>「バッシング」　舞台挨拶</title>
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    <published>2005-11-20T07:00:00Z</published>
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    <summary>日本で初公開となる「バッシング」の上映に際し、監督と出演者4名の方をお迎えして舞...</summary>
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            <category term="舞台挨拶" />
    
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        日本で初公開となる「バッシング」の上映に際し、監督と出演者4名の方をお迎えして舞台挨拶が行われました。（監督：小林政弘　出演者：占部房子・香川照之・本多菊次朗・加藤隆之）
        小林政弘監督「今日はお忙しいところ、作品を見に来ていただき、ありがとうございます。広島や大阪から夜行バスで見に来てくれた人もいるとかで、本当にありがとうございます。映画なんで、何か感じていってもらえたらいいんじゃないですかね。」
占部房子さん「今日は皆さんに見てもらえると思うと本当にうれしいです。」
加藤隆之さん「こんな大切な日に風邪を引いてしまいまして、鼻声で申し訳なく思っています。鼻声の僕が何を言っても皆さん聞き取りづらいと思うので・・・映画を見終わって、皆さんにいろんなことを考えていただけたらいいなと思います。今日はありがとうございました。」
本多菊次郎さん「ありがとうございます。よろしくお願いします。今回も北海道で少人数で撮った映画なんですが、1週間くらいでできるのかなと思いつつも監督のパワーにひきつけられた1週間した。1年くらい前のことですが、密度の濃い時間を持つことができました。そして、今日こうやって初めて日本で上映することができ、私も嬉しく思っています。」
香川照之さん「こんにちは。海外からの方も来られてご覧になっていますが、この小林政弘監督という方を紹介がてらどうしても言っておきたいことがあります。小林さんは毎年冬になると必ず映画を1本撮り、そして夏のカンヌ映画祭にもって行くということをもう何年もずっと続けられています。冬に生まれ、夏に収穫するという監督です。カンヌの空の下で、撮った画はいつも本当に寒々しいんですが、僕はそのアンバランスがとても好きなんです。今年が4度目のカンヌ映画祭への参加で、コンペティション部門の赤じゅうたんをこの「バッシング」で 初めて踏まれて、僕は日本からその姿を見たんですが、なんかジャン・リュック・ゴダールみたいな感じを受けて、僕は「あ、小林さん、いいな、赤じゅうたんだ」と思いながら見てました。しかし、僕は小林さんというのは日本のアキ・カウリスマキ監督だと思っています。本当にこういう絵をずっと撮り続けていってほしいと思います。そしてこの占部房子さんというのは日本のジュリエット・ビノシュだとずっと思っていたんで、アキ・カウリスマキがジュリエット・ビノシュで撮ったこの「バッシング」をぜひ見てください。」
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    <title>11.20. 『生誕百年特集　映画監督　中川信夫』トークショー（司会：鈴木健介　ゲスト：若杉嘉津子）</title>
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    <published>2005-11-20T05:00:00Z</published>
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    <summary>東京国立近代美術館フィルムセンターにて上映中の『生誕百年特集　映画監督　中川信夫...</summary>
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        東京国立近代美術館フィルムセンターにて上映中の『生誕百年特集　映画監督　中川信夫』。この日は『人形佐七捕物帖　妖艶六死美人』の上映後にトークショーが行われた。ゲストは『人形佐七捕物帖　妖艶六死美人』『毒婦高橋お伝』『東海道四谷怪談』に出演している若杉嘉津子さん、司会はご自身も映画監督で、中川作品では『怪異談　生きてゐる小平次』の助監督を務めた鈴木健介さん。中川作品の製作現場を知るお２人に、中川信夫監督について、また当時の思い出などをたっぷりと語っていただいた。会場には多くのファンをはじめ、中川監督の息子さんや中川作品でお馴染の俳優、明知十三郎のご家族なども駆けつけ、偉大なる映画監督を偲ぶ貴重なトークイベントとなった。
        鈴木「私は中川監督の遺作となりました『怪異談　生きてゐる小平次』の助監督をさせていただきました。晩年18年間ずっとそばにいさせていただいて、いつもお会いしながら中川監督の私的生活含めて接してきました。私は晩年の、映画はなかなか作ることが出来なかった監督にずっと接してきたのですが、若杉さんは中川監督がいちばん脂が乗って次々と名作を作っていかれた頃にご一緒されたわけですね」
若杉「そうです。今上映された『人形佐七捕物帖　妖艶六死美人』（以下『妖艶六死美人』）が時代劇としては初めてです」
鈴木「その前にセリフがなかったけれど『青ケ島の子供たち　女教師の記録』（以下『青ケ島の子供たち』）がありましたね。それから毎年ですか？」
若杉「１年に１本だけですけれど、七夕様みたいに」
鈴木「初めて出会われた時はどんな印象でしたか？」
若杉「初めは、登山帽を被って下駄を履いて腰に手ぬぐいぶら下げていましたから、とても監督さんには見えなくて、撮影所に来ている電気屋さんだと思ったんです。ところがね、監督さんだという事でびっくりしました（笑）。それほど飾らない方でした」
鈴木「私も同じようなエピソードを聞いているんですけど、東映撮影所でテレビを撮っていた時に中川監督が撮影所内を歩いていたら、助監督さんが仕出しのおじさんと間違えて“おじちゃん、ダメだよ。そんな所でうろうろしてちゃ”って言ったそうですよ（笑）」
若杉「私は１年に１本、衣裳合わせ、ホン読みなどを入れて約１カ月弱。それぐらいしかお目にかかっていなかったんです。先生は良くお酒を飲む方なんですが、私は全く飲めないので一緒にお酒を飲むこともなかったですし、普段はお話もしたことがなかったの。それが撮影に入りますと先生の気持ちというのかしら、何も仰らなくても汲み取れていけたというのは何かの因縁でしょうか。そういう巡り合わせだったんじゃないかなと思います」
鈴木「そういう点ではご一緒されていく回数が増すほど、若杉さんは変わっていきましたね。『東海道四谷怪談』では素晴らしいお芝居に昇華されていました」
若杉「あれが出来た時はそれほどと思っていませんでしたけれども。ただお岩が最後に綺麗な格好をして昇天していく。あれは後にも先にもああいう演出方法はなかったと思うし、やはり最後に救われた姿で終わったということは何か後味が良かったのではないかと思います」
鈴木「『東海道四谷怪談』では水の中につけられたり、顔を醜くされたり大変だったと思うのですけど？」
若杉「はっきり言ってね、最初にお岩の役をいただいた時は怖かったです。その前に、相馬千恵子さんが若山富三郎さんと一緒に『四谷怪談』をおやりになったんですよ。ちょうどそれを観ていました時に、“次にお化けの役があったら私に来ちゃうんじゃないかしら”という変な予感がしました（笑）。最初は怖かったんですけれど、そこは女優ですから役を一所懸命やり遂げるのが大事だと思って。うまくやろうとは考えないで、朝、うちの仏壇に手をあわせて“これから撮影に行って参りますけどよろしくお願いします。どうぞお守りください”って、ただそれだけを祈って撮影の現場に行きましたね」
鈴木「宙吊りはどうでした？」
若杉「あれは怖かったですよ。私ね、高い所がダメなんですよ。おかしいでしょ？　全然見た目と違うのよね。でも高い所から吊るされるというのは、いいものじゃないですよね。あの撮影の時は終わったらすぐに家に帰って寝ました。具合が悪くなっちゃって。そのために撮影を遅らせたということはございませんけど、やはり吊るされるとか高い所は苦手ですね」
鈴木「今のお話を聞いていると中川監督ってひどいことばかりやっているように思えますが？」
若杉「そんなことないですよー、いい先生ですよ。大変な撮影の後、監督から呼ばれまして参りますと、登山帽を取って“今日は本当に良くやってくれて有り難う”と最敬礼してくださったんです。もう、それだけで十分！根はとっても優しい監督です。でもね、絶対に表現はなさらないの。何て言うのかな、ひとつひとつ胸にジーンとくるような監督さんでした」
鈴木「大変失礼なことをお聞きしていいでしょうか？　ある方のインタビューの中で中川監督と若杉さんはデキているという話がありましたね？」
若杉「ああ、あれね（笑）。それほど息が合ったということで、そう取り上げたのだと思いますけれども、天地神明に誓ってそういうことはございません」
鈴木「この場を借りてきちんと証明されました（笑）」
若杉「それでね、今日はこれから『毒婦高橋お伝』を上映しますよね。本来ならば私の相手役をしてくださった明知十三郎さんともお話したかったんですが、明知さんは３年前の平成14年の12月14日にお亡くなりになりまして、今日は明知さんの奥様と晩年にお生まれになった息子さんがいらしています。息子さんは初めは公務員だったんですけれど、カメラが好きだということで公務員をお辞めになり、新進の写真家としてご活躍されています。これから明知２世だと思って応援してあげてください」
若杉「それから中川先生の息子さんも来ていらっしゃいます」
鈴木「とてもそっくりですね」
若杉「本当に！それで登山帽をお被りになって、手ぬぐいを腰にぶら下げて、下駄を履いていただくと、そっくり先生がお出になっちゃったんじゃないかなというような感じです」
鈴木「あのー、見えません？　誰か頭を叩かれませんでした？　水をかけられた人はいませんか？」
若杉「あ、分かった！先生でしょう？」
鈴木「はい」
若杉「喜んで来ているんですよ」
鈴木「そうです、そうです。先生は気に入った人がいると頭を叩いたり、お酒をかけたりするので、これから皆さんやられるかもしれませんね。実を言いますと、必ず仕事が終わると宴席がありまして、『妖艶六死美人』のキャメラマンだった平野さんとテレビでご一緒していた時に必ず言われたのは“宴席にはヘルメットとカッパを着ていけ”と。要するにお酒をピシャー、ジャーとかけられますから（笑）。そういう先生だったもので、僕の結婚式の時も紋付き袴で上からビールをかけられました。ですから、皆さんもご注意ください。そんなところで、ご質問をうかがいましょうか？」
若杉「そうですね」


質問「お岩をやると祟りに合うと言われていますが、祟りはありましたか？」
若杉「私はなかったですね。やっぱり守られたんですね。祟りがないから今まで生きてたのよ（笑）。でもね、中川先生のこの百年祭。変な話ですけれど、江見ちゃんも亡くなり、天知ちゃんも亡くなった、それから明知ちゃんも亡くなった。女優だったら私とか北沢典子さんが生き残っていますけども、やはり先生の百年祭にこういう話を皆さんに伝えてほしいということで生きているのだと思います。ですから祟りはないと思います」

質問「祟りに合わないためにお参りに行ったんじゃないですか？」
若杉「撮影をする前は『東海道四谷怪談』に限らず必ずお参りに行くんですよ。歌舞伎でもそうですよね。でもそれは形だけのことで、あとは自分の心。人間そうだと思うんですよ。あの醜い姿を見せ物にするというのはあんまり気持ちのいいものじゃないし、やはりいつも心をキレイにするのが大事。怪談ものは斎戒沐浴するような気持ちでやらないと務まらないし、お受けできません。だから私は朝晩、先ほどお話したとおり“やらせていただきます”という気持ちで、あとは何も考えませんでしたから祟りはなかったんじゃないでしょうか」

質問「映画界に入られたきっかけを教えてください」
若杉「ここに私以上の方ってあまりいらっしゃらないと思うので戦争中の話から。初めは銀行員だったんです。戦争中の時ね、三菱銀行だったんです。その時、職場で慰問に行くことになって『男装の麗人』をやりました。それから、終戦になりました時に今度は雪印に勤めたんですけど、そこは職場演劇がすごく流行っていまして、私は初めて『修禅寺物語』の夜叉王の娘・かつらという役をやったんです。その時に新国劇の清水彰さんという方が演出に来ていて、“あなた舞台をやるといいですよ”と言われたんですよね。それでその後、おこがましくも『番町皿屋敷』の青山播磨をやっちゃったんですよ。その時に２回とも常務賞をいただいたものですから、すっかりのぼせ上がっちゃって、昭和21年に『大映の第３期ニューフェイス募集』の広告が出ていたので受けました。１期生が折原啓子さん、２期生に船越英一郎さんのお父様の船越英二さん、３期生が私。度胸の良さが買われまして女優になったんですけど、もともとは素人の芝居を褒められたのがきっかけですね」

質問「最初のお話にも出ました『青ケ島の子供たち』について詳しく教えていただけますか？」
若杉「あれはいつでしたか？」
鈴木「1955年ですね」
若杉「申し訳ないんですけど、ほとんど記憶がないんですよ。台詞がなかったそうです。女教師役だったそうなんですが、記憶が全然ないので…ごめんなさい」
鈴木「若杉さんは東京の学校の先生役でした」

質問「中川監督の演出は他の監督とは違いましたか？」
若杉「中川監督は細かく指示を出さないんですよ。それだけに撮影に入る前は、ある程度自分で役柄をつかんで現場に行きました。監督はただそばへ来て“心だよ、心”と、それだけしか仰らない。どんな形でも、その表現がどうであろうとも、その役の気持ちが出ていればいい。そういう指導をしてくださった監督でしたので、はっきり言うと大変怖いし、難しかったですよ。例えば、手取り足取り“時代劇ならこうやるんだよ”と形を教えていただくとある程度わかりやすいんですけれど、“気持ちで”としか仰らないのでね。いつも心を大事になさった監督さんでしたね」
鈴木「それでちょっと関連して、こういうことがありました。私が『鳴門秘帖』というテレビの時代劇をやっていた時に、出演された方が僕に向かって“あの監督は全然注文してくれないからわからない”と言ったから、“いや、それがいちばんいいんじゃないですか”と答えるしかなかった。でも僕はその人、損をしたと思っているんですよ。もうひとつ、中川監督はカットを変えてきますね。お芝居ができない人のアップをそのまま撮ると作品的にもマイナスになりますし、演じた人もマイナスになるし。そういった配慮をされてやっていた。だからある意味では非情な世界というか、演出的には一見任せるけれども、対応できなければさり気なくカットを変える。それが中川演出のひとつだと思います。
それにしても先生は人が好きで、人を大事にする方でしたよね」
若杉「本当にそうです。私が映画界を辞めた後も年賀状をいただくんですけれど、筆で“お前のお岩は世界一だ”と書いてくださったりね」
鈴木「もう時間がありませんが、今日はありがとうございました」
若杉「ありがとうございました」

来年　ラピュタ阿佐ヶ谷で中川監督の特集上映の予定あり

（取材・文：北島恭子）
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    <title>「スリー・タイムズ（原題）」　侯孝賢監督Q&amp;A</title>
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    <published>2005-11-19T12:00:00Z</published>
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    <summary>Q:監督の映画に対する思いや創作する姿勢について A:創作というのは道と同じで、...</summary>
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        Q:監督の映画に対する思いや創作する姿勢について

A:創作というのは道と同じで、どこまで行ってもたどり着けない、どこまでいっても終わりのないものです。創作という道の途中でいろいろと自分を見つめ、反省したり、しっかりと見つめて行くということです。またいろんなものを観察していき、またそして人間について思索していくわけです。人間とはどういうものであるのか、それとどういう風に向き合っていくのか、というこの創作の道というものは尽きないものが沢山あって、ずっと歩いていってもたどり着けない、尽きることがないという道が創作といえます。もちろんその歩いていく過程でもしかして自分が創作というものになれきっていないか、自分の能力がどれくらいあるのか、またなぜその映画を撮っていくのか、そういうものを考えながら歩いていくのがこの創作の道だと思います。ですから、尽きることのない道であると考えています。

小説を読んだり、映画を見たりするとき、若い時と年齢を経てからそういうものを鑑賞したときの感覚というのは全く違ってくると思います。それは、台湾の政治状況が台湾の歴史というものを繰り返しいろいろと考えさせてくれる場合にも同じように当てはまると思います。例えば、政治の中でいろいろなことが歪められているし、その真実がどこにあるのかが分からなくなってくるようなことがありますが、その繰り返しが歴史となっているわけです。それは私が映画を撮る中で、もう既に自分が撮り終えたと思っていたものをまた繰り返すということと似ています。自分はまた自分の撮ってきたものをこれでいいのかどうか、絶えず自分で問いかけながら、先ほど創作の道が自分を問うもの、自分を見つめなおしていくものだといいましたが、そのようにまた繰り返し歴史と同じように、撮り続けていくわけです。
        Q:この映画は3つの話で構成され、3組の男女が主人公で、時代も、設定も、背景も、ストーリーも異っているが、同じ俳優が演じているというだけでなく、どの話の主人公も似たキャラクターに見えたのは意図してそういう演出をしたのですか、それとも何か違う目的があったのですか。

この3つの物語の中で、1966年、1911年、2005年と設定されていますが、最初の計画では、66年の部分を私が撮って、あとの2つのストーリーをもう2人の若い監督と一緒に撮る、すなわち3人が1話ずつ撮るという計画でした。それを釜山のPPP（釜山国際映画祭で行われるPusan Promotion Planという企画マーケットのこと）に持って行ったんですが、誰も投資をしてくれる人がいませんでした。その後、GIO（台湾行政院新聞局:台湾で映画を管轄している政府機関）に持ち込みました。GIOの方では30万ドルを出すという話になりましたが、プロデューサーといろいろとあり、この話もまた流れてしまいました。その時、映画があたらなかった時、一種の違約金のようなもの30万ドルの10％、すなわち3万ドルを私が払わなければならないが、それでも撮るかといわれたのです。それで、こういう企画は一旦ここでやめにして、そして自分で全作品を監督することに決まったわけです。私は再度、話を練り直しました。2005年の物語というのは本来は80年代に設定されていたのですが、その時点でそれを2005年にしたわけです。この時に、3つとも愛をテーマにしたラブストーリーに絞ろうということになりました。3つの時代を背景にしているので、それぞれの時代にいた男と女、様々な時代の波の影響を受けながら、身分の違いも含め、その時代の中でどういうふうに愛というものが絡み合って、ラブストーリーとなるのかを描いてみようとこのような企画にしてみたのです。

この3つのストーリーというものを3ヶ月という撮影期間の中で、次第に主人公の2人、スー・チー（舒淇）とチャン･チェン（張震）が非常に自然に演じるようになり、3つの話の展開が、まるで3人のラブストーリーのように、うまく絡み合ってきたわけです。これがまるで先ほどそれぞれのエピソードの中の一組の男女がまるで同じ人物のように見えるとおっしゃったんですが、そういう意味なんですね。最初に撮ったのが2005年、その次に1911年、最後は1966年のパートを撮りました。スー・チー（舒淇）も最初はあまり慣れませんでしたけれども、段々と劇中の人物になりきるようになり、うまく進行して行くようになりました。

Q:これまでのホウシャオシェン（候孝賢）監督のスタイルの3つのパターンの全てを一度に見られたように感じられたのですが、監督自身にそういう意図があったのですか。また、年代的には前後していますが、こういう並びにした意図は何ですか。

私の3つのスタイルと言われましたが、内容からスタイルというものが決まってきます。まず、最初のストーリーの撮影では、まだ2人の俳優が慣れていなかったため、多くの時間とお金を費やしてしまいました。次に撮影した1911年のストーリーは、段々2人も慣れてきまして、12日くらいで撮り終えたました。この話は1911年当時の昔の言葉を使っているのですが、2人とも練習する時間がなく、その言葉を話すことができないためにサイレントにしました。というふうに、その内容からサイレントというスタイルが決まってきたわけです。3つ目は6日間で撮り終えました。これには実質的に色んな事情がありました。実際に、スー・チー（舒淇）は既に他の仕事が控えていましたし、また、撮影のリー・ピンピン（李屏賓）も日本で行定勲監督の「春の雪」に参加しなければならないといった事があり、撮影もそういうふうに進んだわけです。スタイル、形式というのは現実的な事情から生じているんです。

順番の質問については、2005年から撮り始めましたが、最初でしたので俳優が2人ともまだ慣れていませんでした。段々と慣れてきて、1966年を撮った時は6日間で撮りましたが、2人ともすっかり息が合ってきており、とてもリラックスして撮影できました。また、自分の経験を基にした青春時代の恋愛の思い出というものを撮っていたので私自身もとてもリラックスしていました。そのリラックスした状況で、2人の関係もとても甘い雰囲気が出せるようになってきた、その雰囲気をまず１つ目の物語として最初に入れました。2つ目は、昔風のものでサイレントですから、観客にとってはその辺に入れるのがいいのではないかと考えました。3つ目は非常に重い話ですので、観客が慣れてきたところを狙い、3つ目に入れました。こういう3つのいろいろなテイストで味わっていただくということで、観客の皆さんの忍耐度をよく考慮して並べた結果がこの順番です。

Q:監督の本作の原題「最好的時光｣と、その3つのオムニバスのタイトルのそれぞれ最後に「夢」という言葉が付く形になっていることの関連性と監督の意図されているところについて聞かせてください。
また、カメオでクー・ユールン（柯宇綸） が出演していますが、彼が出演したきっかけ、エピソードがあれば教えてください。

彼が出たきっかけは簡単で、チャン･チェン（張震）の親友で、しょっちゅうビリヤードをやっているからです。特別出演としたのは彼に尊敬の意味を込めてそのようにしました。

「最好的時光（最良の時）｣という原題は、これは必ずしも何もその時が一番よかったんだという意味ではありません。なぜなら、それがもう帰らない日々だからです。だから美しく見えるんです。こういった過去の一つ一つのある時間というのは我々の記憶の中で思い出して、よみがえるものであり、ですからその記憶の中だけでもう一度思い出して、あの美しかったときを想ってみようという意味で、「最良の時」というふうな原題がつけられています。次に、夢についてですが、それぞれのエピソードについている夢というのは全体のテーマを母とすると子にあたり、小テーマということになります。その「最良の時」の流れの中にある一つ一つの夢という訳です。そして、一つ目の「恋愛の夢」では、自分がかつて若い時に経験した淡い恋を思い出して、ビリヤード場のスコア係の女性に対する可愛い恋心、これを「恋愛の夢」として描いています。で、2つ目は「自由の夢」ですが、なぜ「自由」かというと、1つは当時の日本の統治から離れるために、自由になるための「自由の夢」、そしてまた芸妓からすれば、芸妓の身分から抜け出し、自分の状況から自由になって、きちんとしたところの人に嫁ぎたいという「自由の夢」を描いています。3つ目の「青春の夢」は現代の台湾の若者たちに共通して見られる、虚無的、退廃的、消費的な生き方、そういうもの表しています。

オープニングの際に、映画上映中は食事に行きますと言って、笑いを誘っていたホウ監督ですが、「簡単」に食事を済まされた後、Q&amp;Aに臨まれました。監督は挨拶や質問に答える中で「ありがとうございます」とか「これでいいですか」といった日本語を少し交えながら、本編の制作にまつわるまつわる裏話などを交え、和やかな雰囲気でQ&amp;Aが行われました。「スリー・タイムズ（原題）」はプレノン・アッシュが2006年配給を予定しています。
（取材・文　東 紀与子）
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    <title>オープニングセレモニー</title>
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        今年で第６回を迎える東京フィルメックスは林加奈子ディレクターの開会宣言で和やかに幕を開けた。まずは林ディレクターから「同映画祭の特集企画『生誕百年特集　映画監督　中川信夫』が来年のベルリン映画祭と香港映画祭で上映されることが決定した」という報告と、フィルメックスを支える国内外の関係者、多くの観客へ感謝の辞が述べられた。

続いて市山尚三プログラム・ディレクターより５人の審査員が紹介され、特別招待作品『落ちる人』のドイツ人監督フレッド・ケレメンさん、スイスの映画史家でキュレーターのマリアン・レビンスキーさん、ドイツの映画祭コーディネーターのエリカ・グレゴールさん、俳優の西島秀俊さん、クロージング作品『フル・オア・エンプティ』のアボルファズル・ジャリリ監督が登壇。審査委員長という重責を担うアボルファズル・ジャリリ監督は「イラン人は判断するのが苦手」と冗談を交えながら挨拶。

最後にオープニング作品『スリー・タイムズ（仮題）』のホウ・シャオシェン監督がステージに登場。満員の会場から大きな拍手で迎えられた監督は「若い監督を応援すると同時に古い作品も観させてくれる素晴らしい映画祭。アジアで重要な映画祭になることを祈っています」。
ホウ・シャオシェン監督が審査委員長を務めた第２回東京フィルメックスで、審査員特別賞を受賞したのが今回の審査委員長のジャリリ監督（『少年と砂漠のカフェ』）。そんなお２人が壇上で握手を交わす姿も印象的だった。

（取材・文：北島恭子）
        
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